むげんだい

main story






 真継の話は、こうだった。幼馴染みの春日部光が、前世の記憶を持っている。
 幼稚園へ手を繋いで通っていた頃から、前世のことをたびたび聞かされていた。小学校まではごっこ遊びの延長だろうと思っていたが、中学、高校と歳を重ねても光の昔語りは続き、むしろ言葉や物事の意味を学ぶにつれて、器が中身に追いついたと言わんばかりに前世の話は殊更仔細になっていく。
 光と違って真継には前世の記憶がなく、簡単には信じられなかった。しかし、いくつになっても光が真面目な顔で話すものだから、きっと本当のことなんだろう、と徐々に信じるようになっていった。

「小さい頃は、本当につい昨日のことみたいに話されて……でも俺にはそんな覚えがないから混乱して。たぶん光も、小さい頃はよくわかってなかったんだと思うんだけど」

 漫画やドラマで“生まれ変わる”という発想を得た頃、「ねえ、僕が今まで話していたのは、僕たちの前世のことだったんだよ。前世の僕と真継との記憶さ」と、光が嬉しそうに目を細めていた。それが真継は忘れられない。その記憶とやらは、それほどまでに美しく、キラキラしたものなのだろうか?
 いつか俺も、思い出すのかな。――そう言って真継が曖昧に微笑めば、光は嬉しそうに「きっと思い出すよ」と微笑み返した。

 そんな調子で、昔から前世のことばかり聞かされていたから、記憶違いをしているような稔とのやりとりと似たくだりは、すでに光と何度も繰り返していた。だから「蓮田くんは、覚えている?」と聞き返せた。




「……だから、蓮田くんや光が知ってる前世のこと、俺は知らないけど……そういう人がいるってことは、わかってるよ」
 心配しないで、と小さく頷く真継。事の真相を告げられた稔は、記憶を持つことを不審に思われなかったことに安心した反面、光という不安材料が突如浮き上がってきたことに頭を抱える。
 前世、真継は武家の長子であり、浦和家配下であった春日部家の長子の光は、真継と主従関係にあった。主従と言っても真継が光に対して偉ぶる様子はなく、光が一方的に真継に傾倒し、付き従っていたに等しい。当時の光にしてみれば、稔を始めとする“真継の周りにウロチョロしている下賤の輩”――つまりこの家に住む、真継を除いた5人――は、嫌悪の対象であった。揉めたことも多々ある。
 そんな光が、今世においても真継の幼馴染みの座を獲得しているらしい。生まれ変わってなおその座を譲らない光の執念深さに、稔はろくな予感がしなかった。

「あ、あの、大丈夫?」
 苦虫を何匹も噛み潰したような顔のまま遠い目をしている稔に、真継が顔の前で手を振って問い掛ける。我に返った稔は、手元にあった残り少ない紅茶を一息に飲み干した。
「すいません、色々と思い出されたので」
 苦笑いする稔の双眼を真継がじっと見つめ、視線を捉えた。思わぬ熱視線に稔は狼狽えるが、真継は気づいていないようだった。なおも見つめ、隣から身を乗り出し、ずいと顔を寄せる。
「せ、先輩?」
 肩が触れ合い、熱が伝わる。
「蓮田くん、あのさ、」
 柔らかな飴色の瞳が、物足りなさそうに揺れる。
「ちょ、あの」
「昔の俺たちって、どんな風だったの?」
「いや俺は大歓迎ですけどちょっとまだそれは早……え?」
「え?」
 噛み合わぬ状況を瞬時に理解した稔は、自身の間抜けな勘違いをしなやかに誤魔化した。
「……あ、そっすね、昔の俺たちの話ね、是非しましょう」
「良かった、あんまり話したくないのかと思った……」
「や、先輩がそんなキョーミあると思わなくて」
「ある、すごくある」
 稔にとって、想像していたよりも前世の記憶に真継が興味津々であることに、素直に嬉しい気持ちよりも、戸惑いの方が大きかった。それでも、聞いてもらえるならば。

 稔は顎に手を添え、何から話すべきか思慮する。
「ええと……俺たち、いや、今この家に住んでる6人。この6人が、実は子供の頃からの知り合いで」
「ええっ、6人が?!」
「はい、育ちはバラバラでしたけど、同じ手習所に通ってたんすよ。大人になってからも、6人で結構つるんだりしてて」
「ほう……、え、6人みんなが?」
 そんな出来た話があるか、と真継は訝しみ、同じ言葉を何度も繰り返すが、これまでの流れで稔がつまらぬ嘘を吐くとは思えなかった。先を促すように、視線を送る。
「まさか今になって全員が集まるとは俺も思ってなくて。香兵衛先輩に食堂に集められた時は、夢かと思いましたよ」
 真継は、衝撃的な出会いの日のことを思い返す。そう言われてみればあの日、稔に穴が空くほど見つめられたし、平介も複雑な表情をしていた気がする。そこで、はたと気付く。
「もしかして、平介くんも記憶があるのかな。だから、なんか香兵衛とギクシャクしてる……?」
 1週間ほど前、香兵衛と平介の間に何かがあったらしく、いっとき不穏な空気が流れたことがあった。翌日ケロッとした香兵衛が外泊から戻ってきてからは落ち着いているようだったが、以降、真継から見て、平介がなんとなくしおらしくなった気がしている。
 稔は、真継の飲み込みの早さに驚いた。確かにあの2人のごたごたは不自然に映っただろうが、そこまですぐにたどり着くとは思っていなかった。
「そう、ですね。戸塚先輩も記憶があります。2人は前世でも特に仲が良かったんで、記憶がない鶴見先輩を見てるのが、戸塚先輩は辛いんですよ」
 無理に隠してもすぐわかることだろうから、平介にも記憶があることを正直に答える。ただ、なんとなくルール違反な気がして、万莉にも記憶があることは黙っておくことにした。加えて、自分自身も、記憶がない真継――もちろん、香兵衛や新八も含め――に寂しさを感じていることも、隠しておく。
「そっか……。仲が良かったはずなのに、覚えてもらえてないのは寂しいね」
 真継は、まるで自分のことのように申し訳なさそうに俯く。稔は、心中に浮かべていた「寂しい」というキーワードをすぐさま言い当てられたようで、心臓が跳ねた。
「先輩は、気持ち悪いとか思わないんですか?」
 稔の不意の質問に、何のことかと真継は首を傾げる。
「春日部先輩からも聞いていたとはいえ、前世のことを、持ち出されたりすること」
 稔が補足すると、真継は視線を床に落とした。口を少し開いて、閉じる。言い淀んでいた。しかし、意を決して言葉にする。
「散々光から聞いたって言うのもあるけど……やっぱり、俺に記憶がないからかな。……物語を聞いてるみたいなんだ」
 先程も聞いていた、記憶がないという事実。改めて言われることで、稔の知っている真継はここにはいないのだと、念押しされた気分だった。
「蓮田くんは、俺じゃない“真継”を知ってるんだよね。でも、俺にはその記憶がないから、自分のことだって思えなくて……だからかな、嫌に思ったりはしないよ」
 そう言って、真継はまたも申し訳なさそうに笑顔を取り繕う。つまりそれは、他人事ですと言っているようなものだと、真継もわかっていたからだ。稔はどう受け止めて良いかわからず、「なるほど」とだけ呟いて、口をつぐんだ。
「ご、ごめん。あのね、だからこそ聞きたいんだ、前世のこと。それでもし記憶が蘇れば、蓮田くんとか光の話、もっとちゃんと聞けるんじゃないかって思って」
 慌てて弁明するように付け足す真継の言葉に、ただ記憶がない事実にばかり気を取られてはいけない、と稔も思い直す。平介が記憶に振り回されているのを目の前で見ていたのだ。記憶の有無に関係なく、今ここにいる人との関係を育むことは、どうしたって必要なことのはずだ。
「その……無理に思い出そうとしなくて良いですよ。残念っちゃ残念すけど、フツーはそういうもんだと、思ってますし」
 フォローする稔の優しさに、真継は自分の方がよほど慰められている気がした。辛いのは、記憶のある稔や光、平介たちであろうに。

 記憶があるという3人の顔を思い浮かべて、ふと疑問がわく。
「3人の記憶……は、共通なんだよね? なんていうのかな、別の世界ってことはないんだよね」
「春日部先輩とは話してないのでなんとも言えませんが、俺と戸塚先輩は、同じだと思いますよ。同じ場所にいた時の記憶について話した時、相違がなかったんで。その前世の世界が、今の世界と同じかまではわかりませんが……」
 その点は稔も気にはなっていたが、先日万莉も含め3人で話した時に、やはり同じ記憶を持っていると確信できた。平介と2人だけだったときは少し疑っていたが、3人までくれば、不思議と信憑性も増すというものだ。
「光がね、俺以外の5人のこと、全然話したことなかったから。仲が良かったなら話しても良さそなのに」
 稔は、真継が何を気にしているのかに察しがついた。真継は、光の言う前世と稔が言う前世に、乖離を感じたのだろう。
「あー、俺たち、春日部先輩には嫌われてたんで、春日部先輩はわざと言わなかったんじゃないすかね」
 頭を掻いて呆れた顔で言う稔を見て、真継もなんとなく理解できた。光ならやりかねないと、真継にも思い当たる節はあった。

 とにかく前世のことが聞きたくて、真継が口を開いた瞬間、階下から誰かの帰宅する物音が聞こえた。ほどなくして、香兵衛の声が響き渡る。
「まーさーつーぐー!! 服買ってきたから着てみてー!」
「なんで俺の?!」
 階段の真下から呼んでいるであろう香兵衛は、確か万莉と買い物に出かけていたはずだ。香兵衛には聞こえないだろうが、思わずツッコミを入れる。稔と顔を見合わせて思わず吹き出してしまった。前世の話は、いったん切り上げるしかなさそうだった。
「あの、また聞かせてね! 約束だよ」
 真継は稔に指切りをしてから、空になったティーカップ2つと盆を掴むと、真継の名を二度三度と呼ぶ香兵衛の元へと急ぐ。

 稔は、指切りされた小指をぼんやりと見つめて、遅れてやってきた胸の早鐘に、これからの期待と不安を感じていた。