むげんだい

main story






 忙しくしていると、1日というのは本当にあっという間だった。香兵衛がバンドメンバーをかき集め、彼らと同居し始めてから2週間近くが経つ。当初と比べてメンバーたちは随分と親しくなったようで、遠慮も抜けてきた。これからどんどん仲良くなっていく、そういう段階に入ったと言えるだろう。より自然体のメンバーを見ることができること、香兵衛はそれがとても嬉しかった。それに、気楽にしていた方が楽器の練習にも身が入るというものだ。
 自分がかき集めた原石が、互いを研磨し合い輝かせ合って、美しい宝石となる。そしてゆくゆくは自分好みの、最高のバンドになる――素晴らしい。と、ひとり心の中で讃美した。讃美した一方で、沈むようなため息を吐いた。
 ――ここ最近の自分ときたら!
 香兵衛は普段賑やかに振舞ってはいるものの、随分と気疲れしていた。自分の手で最高のバンドを作るという夢が叶いそうな反面、素を出せない疲れが溜まっているのだ。打ち解けてきたメンバーたちとは対照的に、自分と人とを隔てる壁は崩さない、崩したくない。けれど、そうは見せないように、牽制はこっそりと。
 今朝も、香兵衛は馬鹿みたいに明るく挨拶をして家を出てきた。が、実のところ彼は寝起きの機嫌がすこぶる悪い。本来ならローテンションでダラダラと家を出ていくか、そもそも家を出ることすらぐずっているところだ。しかし、そういう姿を知り合って間もない人に見せたくない。そんな気遣いと遠慮と、プライドがあった。だから、作り上げたキャラクターを完璧に演じきって、家での時間、つまり6人での時間を過ごしていた。香兵衛は不器用な自分が、そういうことだけは妙に器用にこなすことを自覚していた。

 しかし先日、同室である稔にはそれを見破られてしまった。しかも、目を見ただけで。適当なことを言っている風でもなかったが、自分が隙を見せた記憶もない。なにか問題が起きるわけでもないが、壁を作り辛くなったのは確かだった。
「はー……」
 家ではあれだけ賑やかな自分が、薄暗いことを考えて、こんな重苦しいため息をついているとは誰も思うまい。それはあの5人に限らず、誰でもだ。
 ただし、今隣にいる人物――千晶を除いては。

 泉岳寺せんがくじ千晶ちあき。有名な大企業、泉岳寺グループの頭取の息子だ。既に父親からは事業の一部を任されており、講義中には株取引のためノートパソコンを眺めていることもある。香兵衛にはさっぱりわからない話だったが、彼が相当な金持ちであることは間違いなかった。もちろん、香兵衛は金が目当てで仲良くしているわけではない。中学生の頃から家族ぐるみで付き合いがあった。それから互いになんとなく居心地がよいことに気付いて、ずっと側にいる。
 今香兵衛に一番近い存在が誰かといえば、千晶だった。

 千晶は、隣に立つ香兵衛を緩慢な動作で見上げた。気だるいわけではない、いつもこのペースなのだ。基本的に無表情、かと言って目で訴えるわけでもない。醸し出す、独特の雰囲気。靄のかかったような、透き通ったような、不思議と耳に心地よい声で問いかける。
「随分なため息だね、香兵衛。もう飽きたの?」
 香兵衛の重たいため息を聞いた千晶は、その理由を退屈さからくるものと受け取った。香兵衛がバンドをプロデュースすると騒ぎだしてから、出資のほとんどは千晶が工面している。他に頼っている部分もあるが、そことのコネクトも千晶がいたから得られたものだ。千晶が出資をやめると言えば、このバンドもそれまでである。
「違うって、バンドはむしろガンガンやる気あるし」
 飽きたわけではない、ちょっと疲れただけなんだと、香兵衛は慌てて応えた。嫌な話だが、資金源の確保のためにも、今ここで千晶に「やめればいいのに」とは言わせられない。幸い千晶は、香兵衛がやると言えば、それに従ってくれる。
「大丈夫なの?」
「大丈夫、いける! 原石は見つけたからね! 後は仲良くなって、うまぁく育てて完璧に仕上げて……」
「ふぅん」
 千晶は一瞬何か言いたげな表情を見せたが、「香兵衛が楽しいならいいんじゃない」と、以降それに言及する気はなくなったようだった。



「あ、来た」
 つい先ほどまでは講義を終えた学生たちでキャンパスは騒然としていたが、二十分もすれば人影はすっかり減っていた。途端にガランとした風景に変わった辺りを見渡すと、平介がこちらに向かって歩いてくるのが見える。
「すまない、待たせた」
 講義の後に教授と話をしていたのだろう、と香兵衛は思った。手には講義で使われていたと思われる資料や参考書、筆箱を持っていた。普段の平介なら綺麗にまとめて鞄にしまうだろうが、今日は香兵衛を待たせていたから、慌てて出てきたのだろう。鞄のファスナーも開いている。知り合ってひと月程度で何を知ったようにとも思ったが、それでもそんな平介を「らしくない」と小さく笑ってしまう。彼もまた千晶と同じで、表情の変化は少ない人間だが、申し訳なさそうな様子がよくわかった。
「何かあったのか?」
 笑われたことに首を傾げた平介に、香兵衛は「真面目だよね」とだけ応えておいた。

 荷物を鞄にしまいながら、平介は香兵衛の脇に立つ千晶に目を向けた。彼らは始めて顔を合わせるのだ。
「彼は……」
「ああ、こいつが前言ってた泉岳寺千晶。中学校からの友達」
 香兵衛が千晶に手を向けて紹介する。それを聞いた千晶が、一度瞬きをしてから平介を真っ直ぐに見据えてこう言った。

「どうも、香兵衛の恋人の、泉岳寺千晶です。よろしく」

「――ちょ、あの」
 しれっと恋人だと言ってのける千晶に、香兵衛が慌ててその場を取り繕おうとする。無意味に手を動かしてみたり、笑って誤魔化してみたりした。しかし、平介はさほど気にしている風でもなかった。
「そうか。戸塚平介だ。よろしく」
 特に間も置かずに挨拶を返し、握手する。付き合っているなんて聞いていない、金目当てか、お前はヒモか、どうしようもない奴だな。そういった罵りを受けると香兵衛は思っていたが、特に追及されずにすんなりと受け入れられてしまったことに驚く。だが、言及されずに済むのならそれに越したことはない。
「え、えーと、じゃあ、帰ろうか!」
 香兵衛はほっとしたような気もしていたが、なんとなく気まずい気がして、大きな声を出してその場を濁したのだった。