むげんだい

main story






 昼時にコンビニへ買出しに行って昼食を軽く済まし、さらに数時間片付けを続ける。日が傾いてきた頃、ようやくリビングや洗面など共有部分の片付けが終わった。畳んだ段ボールが立てかけてあったり、未開封の段ボール箱が廊下にいくつか並んでいたりと、完璧に綺麗になったわけではないが、暮らすには十分だ。まだ各部屋の片付けは済んでいないが、一日中片付けに徹してさすがに疲労したのか、各々ソファやカーペットに座り込んでいた。言い様のない達成感があり、和んでしまう。6人はこの1日で随分と打ち解けたようだ。平介もご多分に漏れずソファで寛いでいると、ふわりとコーヒーの芳ばしい香りが漂ってきた。

「お茶にしよう? 疲れちゃったよね」
 そう言って盆にのせたコーヒーを持ってきたのは真継だった。ひとりひとりにカップを渡していき、最後のひとつを手に取って盆をリビングの真ん中にあるローテーブルに置く。
「いい香りだね。浦和くんはコーヒー淹れるのも上手なんだ」
 受け取った万莉がふわりと微笑む。至れり尽くせりなキッチンには、さすがにミルはないものの、質の良いコーヒー粉とコーヒーメーカーがあった。下ろし立てのポットで湯を沸かして、早速淹れたようだ。
「そ、そんなことないよ」
 そう言って困ったように微笑んでみせる真継は、照れ隠しなのかカップを深く咥えてすすった。そんな2人の様子に、たまらず香兵衛が拳を握ってテーブルに突っ伏する。
「ああん! 万莉ちゃん美しい! 真継くん可愛い! 僕幸せ!」
 突然の香兵衛の呻きに5人は目を瞬かせる。彼はどうやら5人を愛でる傾向にあり、特に万莉や真継には並々ならぬ慈愛の心を見せている。そもそもこの6人が同居することになったのも、香兵衛の自分による自分のためのバンドを、好き放題に愛でるためだった。幸せだと呻くのも彼にとっては当然のことだろう、はたから見れば怪しいに違いはないのだが。新八が香兵衛の言動に失笑しながらも「確かにそうだな」と首を縦に振った。
「あれ、でも真継くんは紅茶なの?」
 突っ伏していた香兵衛がのそりと顔をあげて真継のカップを覗く。5人には目の覚めるようにとコーヒーを淹れた真継だったが、彼が手にしているのは紅茶だった。
「ん、俺コーヒー苦手で。それに、紅茶好きなんだ。香りとか、ちょっと渋い味とか。じんわり幸せになるんだよね」
 真継のその言葉を聞いた平介は、また記憶をたどる。過去でも真継は、紅茶と緑茶の違いはあれど、好んで茶を良く飲んでいた。今こうしているのと同じように、この6人でお茶菓子を手に真継の元に集まっては語らうのが日常だった。遠い過去にしていたことを、同じ6人で同じようにする。デジャヴのようで、まったく別の光景。平介は夢でも見ているのかと思ったが、夢であってくれるなとも思った。そんなことを思いながらまた過去の回想に暮れてしまいそうだった平介は、周りの会話に集中しようと熱いコーヒーを口に流し込んだ。

「そういえば、部屋割りはどうなったんすか。俺まだ知らないんですけど。二人で一部屋なんですよね」
 どうやら部屋割りの話になっているらしい、平介も気になっていた点だった。皆が香兵衛の方に視線を向ける。
「うん。階段から見て手前の方から僕と蓮田くん。次が万莉ちゃんと真継くん。一番奥が瀬田くんと戸塚くんね。荷物もそのとおり運んであるよ」
 どうだ、と伺うように香兵衛が見回すが、決定事項のようで変えるつもりはないようだった。稔が明らかに不服そうな声を出す。
「俺とあんたが同室ですか……」
「おや不満? でも瀬田くんと戸塚くん幼馴染みっていうし、万莉ちゃんと真継くんはなんかこう……聖域? みたいな? 僕らは残りもん同士だよー、悪いね少年!」
 平介も、自分が香兵衛と同室ならば話す機会も増えるだろうし都合が良いと思っていたのだが、確かに新八と同室の方が気心が知れていて楽かもしれない。それにもし香兵衛と同室だった場合、まとまるはずの思考もまとまらなくなりそうだ。多少の不満もないことはなかったが、今の自分にとってはその方がいいと思い黙っておくことにした。

「そうそう、それで大事なこと忘れてた! 皆のバンドでの名前ね、決まったよ!」
 未だ不満げにしている稔のことはまったく気にしない様子で香兵衛は話を次へと持っていく。
「真継くんがMasa、万莉ちゃんがBanri。2人はわりとそのままだね。で、戸塚くんが平介のSuke、瀬田くんが新八の八でHachi。蓮田くんは色々悩んだんだけど、蓮の字からRenでどうかな。あ、ちなみに僕はKyoだよ」
 先程と同じように問いかけるように言ってみせるがこれも決定事項だろう。マネージャーにバンドでの名前が必要なのかと突っ込みたいところだが、もはや誰も意見しようとは思わなかった。何を言っても無駄だ、任せておくに限る。5人が以心伝心した瞬間だった。
「俺、バンドでの名前って『みやび』とかなんかキラキラした、そんなんだと思ってた……」
「瀬田くんそれは偏見だぞ! 君は犬キャラで売るからHachiでいいの! いや、Hachiがいいの!」
「い、犬キャラ……」
 バンドマンに半ば偏見を持って憧れをいだいていた新八はガクリと項垂れる。どうやら香兵衛は、5人それぞれのキャラ付けまで勝手に固めてきているようだ。
「新八、気にするな」
「ハチくん、どんまい」
 平介と真継が労りの言葉を掛けてやる。それを聞いた香兵衛が身を乗り出して、またも騒ぎ立てた。
「ちょっと待って真継くん、僕は『鶴見くん』で瀬田くんは『ハチくん』なの?! 恐ろしく納得いかない!」
「それを言うならお前も偏りがあるだろう」
 真剣な顔で抗議する香兵衛にすかさず平介が指摘する。真継や万莉は名前で、平介を含む残りが苗字で呼ばれている。ところがその指摘はたった一言で一刀両断された。
「それはフィーリング! ええー、僕のことも香兵衛って呼んでよ! ハート付きで! 僕も真継くんのこと真継って呼ぶからあ」
「は、はあ……」
「万莉ちゃんも! 山ほど愛を込めて香兵衛って呼んで!」
「……今の流れ、私は関係なかったよね?」
「じゃあ練習、さん、はい!」
 2人に呆れた声で名前を呼ばれれば、香兵衛が珍妙な声を出して喜ぶのは、平介には自明の理だった。一刀両断された平介は少なからずつまらなく思ったが、それ以上に安心を感じていた。彼の知っている過去でも、香兵衛は同じように呼んでいたからだ。今の香兵衛の中に、自分の知っている香兵衛を伺えた気がした。


「なんかさ、この会ってすぐの呼び名を考え合う瞬間って恥ずかしいけどウズウズしてイイよねぇ。相手がイケメンとなると尚更」
 ニタニタ、そんな表現がぴったりの笑顔で香兵衛は嬉しそうにする。彼の幸せな計画が滞りなく進んでいる証拠だろう。
「じゃあ香兵衛、俺のこともハチって呼んでよ」
「えー、瀬田くんは……瀬田だな。瀬田! うん、しっくりくる!」
「えッ……」
「俺の蓮田くんも訂正願います。気持ち悪いんで」
「てめぇ失礼だな! お前なんかレンレンで十分だ」
「それでいいです」
「まじで!」
「マジマジ」
「えっと、戸塚くんも戸塚でいいかな」
「ああ、構わない。俺はお前のことを、香兵衛と呼ぶ」

 ――そうだ、こうだった。この感覚、この空気、この響き、この、あたたかさ。文字どおりずっと、夢に見てきた光景。思い思いに呼んでくれる、居心地の良さ。ここがあの頃とは決定的に違うことはわかっている。あれは過去だ。それでも、それでも。

「懐かしい、な」
 誰にも聞こえないほど小さい声で、ぽつりと呟く。平介は言葉にした途端に鼻の奥がツンと痛くなった。このままでは泣いてしまう。そう思って、コーヒーを思い切りぐいと飲み干して、涙を無理矢理に押し込めた。
「コーヒーのおかわり、もらっていいか。その、美味しかったから」

 一杯では、足りそうにないから。