むげんだい

main story






「――ってことで、キーボードが万莉ちゃん、ドラムスが瀬田くん。ギターが蓮田くんで、ベースが戸塚くん。そして真継くん、君が、ボーカルだ!」
 香兵衛が真継の頬に手を添え、無理矢理に上を向かせる。その行動に肩をビクつかせるが、真継は役割よりももっと重要な点が気掛かりだった。万莉や稔は楽器の経験者であるなど、それなりの理由があってパートが決められたようだが、自分は歌など、音楽の授業やカラオケ以外でまともに歌ったことがないし、そもそもカラオケだってほとんど行かない。経験がないのはドラムスの新八、ベースの平介も同じようで、困惑の表情を見せている。いかに香兵衛がメンバーを独断と偏見と容姿で選んだかがわかる。しかし、それなりの対策は考えているようで、香兵衛はあまり気にしていなかった。

 背が高くがたいの良い、笑顔が好印象の青年――新八が、はい、と手を挙げた。気になることがあったらしい、目をしばたたかせて、香兵衛に質問を投げかけた。
「あのさ、お前は?」
 そう、メンバーを集めた張本人である香兵衛のパートが発表されていない。他の4人も疑問に思っていたようで、どうなんだ、と視線を向ける。
「僕? 僕はマネージャー! みんなを強力にバックアップしていくよ」
 やだな、イケメンたちにそんなに見つめられたら照れちゃう、と両の手を自分の頬に添える香兵衛を見て、ああなるほど、非常に納得がいった、と言わんばかりに5人はため息をついたのだった。
 そんな5人の様子などお構いなしに、香兵衛は話を続ける。
「みんなのバンドでの名前も、今日帰ったらしっかり考えておくから。みんなは今週の日曜……明後日だね、それまでに体力温存、荷物の整理!」
 それから、となおも話を続けようとする香兵衛に、平介が手で制止を入れた。
「待て、どういうことだ」
 平介は、自分の短く整えられた濡れ羽色の前髪を一度軽くつまんでから、まるで睨み付けるかのように黒い瞳を香兵衛に向けた。平介本人は自覚していないようだが、非常に力強い目つきに香兵衛は一瞬怯みかける。
「……あ、もしかして『infinity』の由来? うーん、話せば長くなるんだけど、強いて言うなら無限大の可能性を秘めた……」
「そのままじゃないっすか。そうじゃなくて、日曜。なんか、やるつもりなんですか」
 6人の中ただひとり年下である稔が、年上に対するには少々不遜な態度で、平介の台詞に付け加えるように尋ねる。一拍置いてからようやく香兵衛は質問の意図を理解した。彼の中では随分前から考えていた計画だったためか、疑問を持たれるとも思っていなかったらしい。

「あれ、言ってなかったっけ。家、あるんだ。いいよー、綺麗だし、大学にも通いやすいし、家賃激安! あ、これは僕のある“つて”っていうか、パトロンっていうか、そういうのがいてさ。大丈夫、信用に足る人物であり、誰でも知ってる企業の社長令息で」
 香兵衛のよく回る口が、ペラペラと話す。
「わざわざこのために作ってもらったんだからね。4LDKに防音の部屋、広いお風呂、トイレはもちろん各階に。駐車スペースもあって月々ひとり1万円! 詐欺みたいな値段だよねー。ま、家賃っていうより礼金だから」

 何を話しているかわからなかった面々も、徐々に事態を理解し始める。
「ここで寝食を共にし、仲を深め、日夜練習に励む! 嗚呼、楽しみ過ぎる!」
「6人で住むのか?!」
「同居……?!」
「家賃1万?!」
 香兵衛によって組まれた予定では、この日曜日に皆で新築の家に引っ越すことになるらしい。少々反応の仕方に違いはあれど、今日初めて顔を合わせた人間が明後日から同居を始めるという事実に、皆驚きを隠せない。真継に至っては、美味しい紅茶だと言って香兵衛に押し付けられた午後ティーを噴き出しかけていた。香兵衛の突拍子もない発言と強引さはこの短時間にして皆重々理解していたが、それでも突然の同居の決定には、首を縦には振り難い。
 はずなのだが。

 平介も、次いで稔も、嬉々として了解してしまっていた。挙句「その家賃なら」と新八までも目を輝かせ、アルバイトの給料と合わせて計算しているのか指を折り、概ねの賛成意見を示している。万莉は腕を組んだままだんまりを決め込んでいて、意見は伺えないが肯定するつもりも否定するつもりもないようだった。
「ちょ……ちょっと待って! その……いきなりそんなこと言われても、家の都合もあるし」
 すんなりと引越しが決定してしまいそうな場の流れに、慌てて真継が口を挟む。
 真継の両親は心配性で、一般的な家庭よりも厳しいと言える。バンド活動をやることさえ了承してもらうのには時間が掛かりそうなのに、知り合ったばかりの人間と同居するなど、許されるはずもないことは目に見えていた。
「なんで? 大丈夫、綺麗な家だってば」
「いやいや、そうじゃなくて……家、厳しいから、許可も貰えないと思うし。バンドだって――」
「何言ってんの! 泉岳寺建設の家だよ? そこの坊やが僕のパトロンなんだよ? 拒否する方が間違いだって」
 泉岳寺建設。この国でも屈指の資産家による株式会社で、多くのグループ会社や子会社を有している。歴史を遡れば数百年と、知らない人間はいないほどの知名度の高い企業である。先程言っていたパトロンとは、泉岳寺建設の社長令息のことらしい。
 あっけらかんとして言ってみせる香兵衛だが、とんでもないことである。それがバックについているとなれば、大抵のことは金で済まされてしまうし、何かしでかした日には、二度と日の目を見られなくなるかもしれない。それほどまでに大きく、影響力を持った企業なのである。
「何なら今会社の方から真継くんの家に電話入れてもらうけど」
「け、結構です! で、でもほら、俺たち会ったばっかりだし……」
 大企業の名に慌てて手をぶんぶんと振りながら、真継はそれらしい理由をつけて考え直しを要求する。きょとんとした顔で香兵衛は首を傾げたあと、途端にニヤニヤとした表情に変えて、朗々と語ってみせた。
「そっかそっか。会ったばっかりで恥ずかしかったんだね。でも大丈夫! 僕は云十年も前からみんなと一緒にいたんじゃないかってくらい、君たちに深ぁい愛情を感じているから! 何よりまず、美しい!」
 何がどう大丈夫なのかさっぱりわからない。香兵衛の破綻した理論に、万莉と真継はまたもやため息をついた。平介と稔は何か思うところがあったのか、互いに目を合わせて固まっていたが、新八の「お前って面白いやつだな!」という間の抜けた一言でその場が収まってしまった。