むげんだい

main story

第1話 「はじめまして」






 都内某駅から徒歩数分。辺りを見渡せば、ところ狭しと建ち並ぶ高層ビルや、人で溢れる薄汚れた石畳の公園が目に映る。走り抜けていく色とりどりの車の走行音、すれ違う若者たちの賑やかな話し声。そういったものの間を縫うようにして歩みを進めれば、その大学にたどり着く。
 初めて訪れた者ならば、目を回してしまうほど情報過多で色鮮やかな都会の真ん中に、その大学は鎮座していた。
しかし、この春から大学2年生になる彼にとっては、もはやさしたる刺激もなく、ちょうど1年前に感じていたはずの色彩も、濁って雑多なものとなってしまった。

「もうこんな時間か……」
 数ある校舎の内のひとつである煉瓦造りの建物から、たった今授業を終えた彼――浦和うらわ真継まさつぐは、眩しい西日の射す外へと足を運んだ。少し狭いキャンパス内は講義を終えた学生たちであふれ返っていて、学外に出るだけでも苦労を要する人の波であった。それが落ち着くまで休憩しようと、真継は校舎の脇にあるベンチへと腰を下ろした。
 ぼんやりと目線を上げれば、隣に植えられている桜の木から、花びらがひらひらと舞い降りてきて、足元でそっと止まった。真継はそれがなんとなく嬉しくて、前髪の隙間の大きな目を細める。

 ふと、膝に乗せている参考書の詰まったショルダーバッグから振動が伝わってきた。震えたそれを取り出してみると、画面には予想どおりの名前が表示されていて、一呼吸おいてから通話のボタンを押す。
「……もしもし? ひかり?」
 電話越しの相手に問いかけると、機械とノイズを通して、独特の少し甲高い声が真継の耳に響いた。
『ああ、真継? 授業終わった頃だと思って。帰るでしょう? 駅まで迎えに行くよ』
 光と呼ばれた青年は、地元の駅まで真継を迎えに行くと申し出ていた。真継は、電話の向こうの相手には見えないであろう己の眉を八の字にして、苦笑混じりに答える。
「もー。大丈夫って前も言ったでしょ……光が言うみたいな変な人なんて、そうそういないから」
 変な人、というのは光曰わく、「可愛い真継に手を出す不逞の輩」のことだそうだ。真継は目がくりくりとしていて大きく、鼻筋の通った、整った顔立ちをしている。華奢な体つきで、腕にはたいした筋肉も付いていない。整髪料の使われていない柔らかな栗色の髪を揺らして笑う様は、二十歳を迎えようとする青年というよりも、少年と呼んだ方が遥かに相応しいだろう。
 このとおり、真継は一般的に可愛いと表現される要素を多分に有していると言えた。とは言え、真継はれっきとした男である。そしてここは歓楽街でもなんでもなく、都内の大学であり、真継の家の最寄り駅――つまり近くに住む光の家の最寄り駅でもあるのだが――まで電車を乗り継げば、家はすぐそこだ。陽もまだある。
 明らかに、過剰な心配なのである。

「迎えは大丈夫だから。ね?」
 まるで真継は幼い子に言い聞かすように、光の申し出をやんわりと断る。
『でも、真継のお母さんにもよろしくって言われてるし、変な人ってのはひっそりと現れるもので』
 不満そうな声の主は、建て前をこねくり回して何とか真継と会う口実を作りたいようだった。
 真継は、冴えない自分と長く仲良くしてくれている光には感謝していたし、光や両親が自分を心配してくれるのもありがたかった。しかしそれ以上に、手間を掛けさせてしまうという申し訳なさと、自身の自由のなさに辟易していたのだった。

 しかし。今回ばかりは、光の申し出を断ったことを後悔することになる。
「うん、うん。わかった。じゃあ――」
 ごねる光を説得した真継が、まさに通話を切ろうとしたその時、ふいに頭上に影が落ちた。それと同時に携帯を持っている方の腕を、誰かにガシリと掴まれる。

「見つけた!!」
「ひッ……」

 突然のことに真継が息を呑む。電話の向こうで『どうかしたのか』と尋ねる光の声が聞こえたが、目の前に仁王立ちする“変な人”は即座に真継の手から携帯を奪い取り、通話終了のボタンを押した。そのまま携帯を真継の鞄の中に適当に放る。
 流れるような動作に真継が呆気にとられていると、今度は思い切り両の肩を掴まれ、熱く力を込められた。

「君の美声を聴きながらお茶がしたい!」

 ――光、変な人、出た……――

 先程の花びらは、とうに何処かに飛んでいっていた。